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*小さな本の数奇な運命
アンドレーア・ケルバーケル
訳/望月紀子
(晶文社)
前代未聞、本が自らの人生を語る!
一冊の本が、古書店の片隅で買い手が現れるのを待っている。
ヴァカンスまでに売れなければ廃棄処分、と宣告されて…。
「本の国」イタリア生まれの知的で洒落たフィクション。
データベースより引用しました。手抜き?(笑)
とにかくおもしろかった。
古書店は、わたしも時々行くのだけれど
この本を読んだら、並んでいる本たちが愛おしくなってくる。
翻訳の望月紀子さんは、巻末の訳者あとがきで
主人公探し(語り手の本)をしたらしい。
たくさんの本を読んでいる人なら探せるかもしれないくらいの
さまざまなヒントがちりばめられているのだ。
読みながら、あぁこういう本、読んだことがあるなぁ、と思っていた。
それも、訳者あとがきで、なるほど〜〜、と思った。
推理小説的な楽しみがある。
けれども、最後に放り出される感。
それが、イヤじゃない。
読み終えてなお、この本の語りが、頭の中をこだまする感覚は
同じ国の大好きな作家に似ている。
イタリアという国柄なのだろうか。
本が語る本の話として読んできたのだけれど
ふと、思った。
これって、人の世界にもあてはまりそうな。。。
そう考えて
ちょっと背筋が寒くなった。
〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜
まっしろな気持ち の ましろさんが
この本の記事を書いてらっしゃいます。
冷静で的確な感想は
ましろさんならではの文章で
もういちど、この本を読みたくなってしまいました。
*ましろさんの記事へ
6月23日 追記*
コーネルの箱の理想的な眺め方は
床に置いてそのかたわらに横たわることかもしれない。
コーネルの箱のなかから子供の顔がじっとこっちをみていることは
驚くにはあたらない。
そしてその子供たちが、遊んでいる子供特有の夢見る顔をしていることも。
子供たちは、自分がいまだ世界の主人公である時計のない日々の
幸福な孤独を生きている。
箱は想像力が君臨していた日々の遺宝箱なのだ。
むろん箱たちは、子供のころの夢想に立ち戻るよう私たちを誘っている。
ミニチュアの詩学
*酔郷譚(すいきょうたん) 倉橋由美子
(河出書房新社)
倉橋由美子の遺作。
七つの短篇からなる一冊。
魔酒の効能で、主人公の「慧君」が、
現世と冥界(めいかい)を往還、時に女性に変化し、「歓を尽くす」。
(本よみうり堂、出版トピックより引用)
と、それだけを聞けば
(あぁ、ありがちなそういう話ね)
と思われてしまいそうだけれど
そんな話を寝転がっては読めなくしてしまうのが
倉橋由美子の冷静で一貫した視線の鋭さ、というか凄さ。
「小説はごちそうだと思っていますから
おいしくないのは嫌。
遊び心地になれる楽しい話を書きたくなりました。」
そう語っていたという著者。
そう、「ごちそう」には違いないよね。
うん、でも、おいしいけど、さらりとしすぎている、というか
もっと毒や凄味が欲しいかも・・・なんて感じながら読み進めていたはずなのに
読み終えて意外なほどの酩酊感は
さらりとした飲み口だから、と、ついつい飲みすぎてしまった夜に似ている(笑)
倉橋由美子を読むと、殊更に 「せい」を意識してしまう。
その「せい」は、「性」であり「聖」
「世」「政」「静」「清」「凄」「醒」「逝」
それらの「せい」は、すべて「生」に結びつき「生」という「せい」になる。
あの世とこの世を往き来する物語を紡ぎながら
静かに逝ってしまった倉橋由美子さん。
でも「よもつひらさか往還」そして「酔郷譚」を読むと
逝ってしまったけれど、いつか戻ってくるだろう。
というか、すべては「往還」なのだと思えてくる。
生と、死。
わたし個人は、輪廻転生できると思ってはいないけれど
繰り返し繰り返し、生と死を往ったりきたりする特別な人はいるのかもしれない。
そんなふうにも思えてくる。
なんだか 『高丘親王航海記』 (澁澤龍彦)が読みたくなった。