スポンサーサイト
category: -, auther: スポンサードリンク
2010.12.28 Tuesday
- | -
「人間は都市に残された最後の自然だ」
人体には三十億年の生命の記憶が秘められている。
人間は、内面が大切だ。
そもそも「内面」とは何だろう。
じつは、知性というのは、体そのもののことなのではないか。
そんなことを考えるために、ぼくはこの『体の記憶』を書いた。
”なせばなる” の歌は、この最後の、もう一押し、一ふんばりを
諦めすてることの 弱い精神に鞭打つ言葉であろうと思います。
ならぬはひとのなさぬなりけり とは、
人が最後の努力を惜しむから成らぬのであると言うことで、
結局最後は天地の大いなる力がそこに働いて、その人を助けるのであります。
一途に、努力精進をしている人にのみ、天の啓示は降るのであります。
もっとも、天の啓示は、そうでない人にも降っているのかもしれません。
が、哀しいことに、そのひとは一途なものを失っているので、
その有難い天の啓示を掴みとることができないのであります。
~~無題抄 p30~31~~
私の冥想はいつまですわっていても結晶しなかった。
筆をとって書こうとすれば、書く種は無尽蔵にあるような心持ちもするし
あれにしようか、これにしようかと迷いだすと、
もうなにを書いてもつまらないのだというのんきな考えも起こってきた。
しばらくそこにたたずんでいるうちに
今度は今まで書いたことがまったく無意味のように思われ出した。
なぜあんなものを書いたのだろうという矛盾が私を嘲弄し始めた。
ありがたいことに私の神経は静まっていた。
この嘲弄の上に乗ってふわふわと高い冥想の領分に上ってゆくのが
自分には大変な愉快になった。
自分の馬鹿な性質を、雲の上から見おろして笑いたくなった私は
自分で自分を軽蔑する気分に揺られながら揺籃の中で眠る子供にすぎなかった。
~三十九~
余はまた写生帖をあける。
この景色は画(え)にもなる、詩にもなる。
心のうちに花嫁の姿を浮べて、当時の様を想像して見て
したり顔に、 花の頃を越えてかしこし馬に嫁 と書きつける。
不思議な事には衣装(いしょう)も髪も馬も桜もはっきりと目に映じたが
花嫁の顔だけは、どうしても思いつけなかった。
しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、
ミレーのかいた、オフェリヤの面影(おもかげ)が忽然(こつぜん)と出て来て、
高島田の下へすぽりとはまった。
これは駄目だと、せっかくの図面を早速(さっそく)取り崩(くず)す。
衣装も髪も馬も桜も一瞬間に心の道具立から奇麗(きれい)に立ち退(の)いたが
オフェリヤの合掌して水の上を流れて行く姿だけは
朦朧(もうろう)と胸の底に残って、棕梠箒(しゅろぼうき)で煙を払うように、さっぱりしなかった。
空に尾を曳(ひ)く彗星(すいせい)の何となく妙な気になる。
~「草枕」より~