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2010.12.28 Tuesday
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風が吹いています こんな日には
重いフィスラーの鍋も空も飛びます
群れ飛ぶ紙飛行機にまざりながら
戦争は終わりました(ほんとですか?)
これらの映像の魔術的変換装置によって
推理的に構成されたこのシナリオは「存在の再確認」とでも云える。
それは換言すれば、「存在の認識」とも言える。
はじまりというのは、何かをはじめること。
そう考えるのがほんとうは順序なのかもしれません。
しかし、実際はちがうと思うのです。
はじまりというのは、何かをはじめるということよりも
つねに何かをやめるということが
いつも何かのはじまりだと思えるからです。
〜手紙 1〜
書くというのは、二人称をつくりだす試みです。
書くことは、そこにいない人にむかって書くという行為です。
文字をつかって書くことは、目の前にいない人を
じぶんにとって無くてはならぬ存在に変えてゆくことです。
〜後記〜
一夜にて老いし少女をてのひらで書物にかくす昼の月食
まなざしが一羽の蝶となりてゆく迷路あそびのゆきどまり春
満月に墓石はこぶ男来て肩の肉より消えてゆくなり
木のままで一生終るほかはなし花ざかりの墓地首吊りの松
てのひらで月をかくしてしまいたる書物眠れば死が目を覚ます
一本の釘を書物に打ちこみし三十一音黙示録
[ 深呼吸の必要 長田 弘 ] (晶文社)
3月という月は、なんとなく落ち着かない。
わくわく、とはちょっと違う感じ。
強いていえば、そわそわ。
それも、あまり穏やかならぬ そわそわ。
短い息の合間に、深い溜息がまじる。
あぁ、違う。
こういう息をしていてはいけない。
きみはいつおとなになったんだろう。
きみはいまおとなで、子どもじゃない。
子どもじゃないけれども
きみだって、もとは一人の子どもだったのだ。〜あのときかもしれない 一〜
気がついたらおとなになっていた。
たくさんの希みや始まりを経験して
たくさんのあきらめやお終いを経験して
そうして気がついたらおとなになっていた。
きみがきみの人生で
「こころが痛い」としかいえない痛みを
はじめて自分に知ったとき。〜あのときかもしれない 九〜
そのときだったんだ、と詩人は言う。
「こころが痛い」としかいえない痛みを知ったとき
子どもからおとなになっていた、と詩人は言う。
「こころの痛み」を知ったおとなは
がっかりすることがあっても
適当に折り合いをつけることもできるようになる。
「痛み」を最小限でくいとめるため
期待は「ほどほど」にしよう、なんてことも覚えた。
それでもそうやって防御していても。
静かにひそかに襲ってくる「痛み」がある
そういう「痛み」には
そこらへんにある鎮痛剤は効かない。
うずうず と しくしく と
いつはてるともなく続いている 「痛み」
いっそ、のたうちまわるような「痛み」だったらいいのに。
いっそ、呼吸がとまるような「痛み」だったらいいのに。
そうやって、ダダをこねるのはみっともない、なんて
おとなになってしまったから考えてしまう。
言葉を深呼吸する。
あるいは、言葉で深呼吸する。
言葉は一人から一人への伝言。
伝言板の上の言葉は、一人から一人へ宛てられているが
いつでも誰の目にもふれている。
〜後記〜
怖くなるくらい、いまは誰も孤独だとおもう。
新聞を読んでいる人が、すっと、目を上げた。
ことばを探しているのだ。 目が語っていた。
ことばを探しているのだ。 手が語っていた。
ことばを、誰もが探しているのだ。
ことばが、読みたいのだ。
ことばというのは、本当は、勇気のことだ。
人生といえるものをじぶんから愛せるだけの。
〜新聞を読む人〜
まだ信じられる語彙がいくつあるか?
一人の言葉は何でできているか?
一人の魂はどんな言葉でできているか?
悲しみは言葉をうつくしくしない。
悲しいときは、黙って、悲しむ。
言葉にならないものが、いつも胸にある。
歎きが言葉に意味をもたらすことはない。
純粋さは言葉を信じがたいものにする。
激情はけっして言葉を正しくしない。
恨みつらみは言葉をだめにしてしまう。
ひとが誤るのは、いつでも言葉を
過信してだ。 きれいな言葉は嘘をつく。
この世を醜くするのは、不実な言葉だ。
誰でも、何でもいうことができる。 だから
何をいいうるか、ではない。
何をいいえないか、だ。
銘記する。
言葉はただそれだけだと思う。
言葉にできない感情は、じっと抱いてゆく。
魂を温めるように。
その姿勢のままに、言葉をたもつ。
じぶんのうちに、じぶんの体温のように。
一人の魂はどんな言葉でつくられているか?
〜魂は〜
特別なものは何もない、だからこそ、特別なのだという逆説に
わたしたちの日々のかたちはささえられていると思う。
人生は完成でなく、断片からなる。
〜人生の特別な一瞬 ・あとがき〜
空想の旅は楽しい。
昼でもいい。 真夜中でもいい。
重たい地図帳を床に広げて、ゆっくりと地図を旅する。
緑の山地を通ってゆく。 海沿いの道をゆく。
地図帳には、語られてきた物語と、語られなかった物語が
なまじいの物語の本よりも、一杯つまっている。
〜人生の特別な一瞬〜
「樹」という言葉は、ただの一語にすぎない。
ただ一語にすぎないけれども、しかし、そのただ一語を書くだけで
明るい日差しの下の、おおきな樹の下の、おおきな影のなかに
わたしは入ることができる。
たとえ、どんな深夜にも。
ときどき、じぶんのなかに幻のようにそだつこの「樹」は
いったい 何の木だろう、と考える。
確かにこの「樹」は枝ぶりも影も変わらない「樹」なのだが
どう考えても、この「樹」の名は「樹」としてしか、わたしには思い浮かばない。
やっぱり「樹」でしかないのだ。
だから、「樹」とだけ、書く。 疲れたとき、「樹」と書く。
この「樹」は言葉なのだから
この自由の木の根を涸らしさえしなければ
心に影なすこの「樹」がくれる大切なものを失うことは
きっとないだろう。
〜言葉の樹〜